松濤館流空手「平安初段〜五段」の歴史を徹底解説

歴史

空手を習い始めると、まず最初にぶつかるのが「平安(へいあん)」の型です。松濤館流では入門者がまず覚える基本形として知られていますが、実はこの型、明治時代に作られた比較的新しい型で、しかも珍しく「誰が作ったか」がはっきりわかっている型でもあります。今回は平安初段〜五段の成り立ちと、松濤館流ならではの興味深い変化について詳しく解説します。

創作者が特定できる稀有な型

空手の型の多くは創作者不明とされていますが、平安は明治時代に作られた比較的新しい型であるため、例外的に創作者を証明することができます。作者は首里手の大家・糸洲安恒(いとす あんこう)で、初段から五段までの5つの型を創作したとされています。創作時期は明治37年(1904年)春に初めて発表されたとされ、その後もいくつか改良が加えられたのか、糸洲直系の諸流派間でも挙動に相違が見られます。

元の名前は「チャンナン」だった

平安には興味深い前史があります。糸洲の初期弟子の一人・本部朝基(もとぶ ちょうき)によれば、もともと平安は「チャンナン」と呼ばれ、挙動も現在とは少し違っていたといいます。本部が晩年の糸洲にこの点を問いただしたところ、糸洲は次のように答えたと伝えられています。

「その頃とは型は多少違っているが、今では学生のやったあの通りの型に決定している。名称もみなが平安(ピンアン)がよいというから、若い者達の意見通りにそうしたのだ」

本部は明治3年生まれで、12歳から糸洲に師事したとされるため、チャンナンは明治10年代にはすでに存在していたことになります。また「ピンアン」という名称自体、糸洲が唐手師範を務めていた沖縄県立第一中学校(現・首里高校)か沖縄県師範学校の生徒による発案を、糸洲が採用したものとされています。

制作の目的——学校体育への導入

平安は主に公相君(クーサンクー)など旧来の型から動作を借用して構成されたと言われています。沖縄県の学校体育に採用されたことで爆発的に広まり、現在では首里手系各流派で基本型として採用されるに至りました。糸洲は唐手の学校教育への採用に尽力し、唐手の体育化・近代化を推し進めた最初の一人でしたが、この普及型としての平安創作は、まさにその方針の象徴といえます。

旧来の弟子たちには不評だった

体育目的を強調した平安の型は、糸洲の古参の弟子たちには不評だったようです。師範学校で糸洲の師範代を務めた屋部憲通(やぶ けんつう)は「『ピンアン』の稽古をやる時間があるなら、『クーシャンクー』をやりなさい」という指導方針だったとされ、実際、師範学校ではナイハンチが稽古の主体で、平安は興味のある者にしか教えられていなかったと伝えられています。本部朝基や喜屋武朝徳(きゃん ちょうとく)など、糸洲の初期弟子や糸洲直系以外の系統には、そもそも平安の型が採用されていません。

なお、本部流に伝わる「白熊」という型が平安に似ていることから、平安の原型であるチャンナンではないかと推測する研究者もいます。

「ピンアン」から「平安」への改称——船越義珍による日本化

沖縄式の発音「ピンアン」は、船越義珍(ふなこし ぎちん)が唐手を本土に伝える過程で、他の型名(クーサンクー→観空、パッサイ→抜塞など)と同様に日本語の音読み「ヘイアン」に改められました。これは、中国色の強い名称が当時の日本社会では受け入れられにくかったという事情や、船越が漢詩などの趣味を生かして日本の武道にふさわしい名称に整えていったという経緯を反映しています。同じ漢字「平安」を、和道流や糸東流では沖縄読みの「ピンアン」のまま使用しているのに対し、松濤館流だけが本土読みの「ヘイアン」を採用している点は、この改称の名残です。

松濤館流だけの大きな違い——初段と二段の入れ替え

平安に関して松濤館流を語るうえで欠かせないのが、初段と二段の技の中身が他流派と逆になっているという特徴です。松濤館流の平安初段は、和道流・糸東流でいう平安二段に相当し、逆に松濤館流の平安二段が、他流派の平安初段に相当します。三段〜五段は表面的な立ち方や見た目の違いはあるものの、流れとしては共通しています。

この入れ替えがなぜ行われたかについては定説がなく、指導のしやすさ(技術的に易しい方を「初段」として最初に教える方が合理的だったなど)を理由とする見方が一般的ですが、確たる史料的根拠があるわけではなく、諸説ある部分です。

現在の位置づけ

現在、平安初段〜五段は松濤館流の基本形として、入門者が最初に学ぶ型群に位置づけられています。特に平安初段は、太極初段とともに入門直後に習うことが多く、空手の基礎的な動作(追い突き、下段払い、上げ受けなど)を凝縮的に学べる型として重視されています。段が上がるにつれて後屈立ちや横蹴り・前蹴りなど新しい技術要素が加わっていく構成になっており、糸洲が意図した「段階的な体育教材」としての性格が今も色濃く残っています。

まとめ

平安初段〜五段は、糸洲安恒が明治30年代後半(1904年前後)に、沖縄の学校体育への唐手導入という明確な目的のもとでクーサンクーなど古来の型を再編集して創作した、比較的新しい型です。旧来の武術としての唐手を重視した古参弟子たちには軽視される一方、学校教育を通じて爆発的に普及し、結果的に今日では空手全流派を通じてもっとも広く知られる基礎型群となりました。松濤館流ではさらに、船越義珍による名称の日本語化と、初段・二段の入れ替えという独自の改変が加わっており、これが他流派との大きな違いを生んでいます。

なお、糸洲直系の各流派間でも成立当初から挙動の相違があったとされ、創作の経緯そのものにも伝承による揺れがあるため、細部については研究者や資料によって見解が分かれる点もあるという前提でご理解いただければと思います。

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